2008年05月20日
『神曲』の成立
『神曲』の由来なんて考えた事なかったな。
本当に勉強になります。
イタリア語の原題は、 La Divina Commedia (神聖なる喜劇(ディヴィーナ・コンメディア))であるが、 Divina はボッカチオが尊称としてつけたもので、ダンテ自身は、 単に Commedia (喜劇)とのみ題していた。「喜劇」としたのは、「悲劇」とは逆に円満な結末を迎えるため、また、女子供でも読める俗語で書かれているためだという。出版史を見ると、『神曲』の最初期の写本では、『ダンテ』『三行韻詩』などの題がつけられていた。15、6世紀頃にはダンテの詩が活版印刷で出版されるようになり、1555年に刊行されたヴェネツィア版によって『神聖喜劇』(Divina Commedia)の題名が定着した。
「神曲」の邦訳名は、森鴎外がアンデルセンの翻訳『即興詩人』の中で用いた。その一章「神曲、吾友なる貴公子」において『神曲』の魅力が語られ、上田敏や正宗白鳥ら文人を魅了し、翻訳紹介の試みが始まった。この鴎外訳『即興詩人』が最初期の『神曲』紹介であり、日本における『神曲』受容はここから始まったとも言える。日本におけるほぼすべての邦訳の題名が、より原題に近い『神聖喜劇』ではなく『神曲』の訳題で統一されているのは、鴎外による『神曲』の訳名が人口に膾炙したためであろう。
ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。またダンテはヴェロナのパトロンであるカン・グランデへの書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。
『神曲』地獄篇は1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ地方の方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である
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